オウムに取り込まれた若者たちを追った本。実は自分の高校/大学の先輩も含まれている。だいぶ離れていてかぶってないので面識もないけど、部活も同じだったから、ある程度の感情はあるんだよね。地下鉄サリン事件の時に上九一色村の近くで、その部活の合宿をしていた。ニュースを聞いて「やばい」となって家族の安否を確かめる先輩の姿を覚えている。

あとは大学の近くでオウムの残党が何かやらかす、みたいな噂を聞いた日があったなあ。単なる噂で気にしたつもりはなかったんだけど、その日なぜか朝の講義の時間を1時間間違えて早く着いてしまって、教室に誰もいなくて、やってないじゃんとそのまま帰ってしまったことがあった。休講のお知らせも出てないし…帰る途中で気づいたんだけど、そのまま帰ったな。あんまり真面目な学生じゃなかったもんで。やっぱり気にしてたんだなと自己を認識した。普通なら、そんなにドジじゃなかったはず。

そんな自分の当時のことはいいんだ。この本にはいろいろと書いてあるけど、「自分の感性を信じろ」みたいな話はどっちにも転びうるからあんまりいい話じゃないなと思ったり。まあ奴らの手口について改めて書いてあったのは良かった。

たとえば自分の息子がそういうところに取り込まれたりしたら、どうやって正気に戻すのがいいんだろうか。そのへんは悩ましいとこだね。事前対策として、カルトはこういうことをするよ、という知識を教えておくんだろうけど、あまり細かく教えすぎると、ちょっと違う変化球で来られた場合に「この運命の集団はカルトとは違うんだ」と考えてしまう可能性も、あるよなあ。

大正時代の代表的なテロリスト、朝日平吾の評伝。とりあえずKとかいう文筆家は誰だか知らんが、死ぬべきである。…というような過激なことを言って本気でやったのが朝日平吾的存在ってことになるのだろうか。

財閥のトップをやってその場で自殺。激しい性格で方々で問題を起こしていた。ソリが合う人がいなかったんだろうね。ただ唯一の友人はいたみたいだし、現代でフォーカスされているような、完全にボッチの孤立でもなかったみたいな感じだよな。行動力はオバケ並み? 同棲したり、遊女と遊び回ったり。激しい弁舌で渋沢栄一に金を出させたり。文章もかなり上手かったようだ。

ただ、宗教に入ってすぐに抜け出したり、こらえ性のない人格だったようだなあ。最終的には少年〜青年期の男子にありがちな独善的で潔癖な価値観で突っ走ったと。満たされない承認欲求。

壮絶な人生ではあったが、正直この人物に共感できるかというと、無理だろうと思った。短絡と浅慮が過ぎて、誰とも議論が噛み合わんだろうな。あとは、事を成した後の周囲の証言というのは、それだけで色眼鏡を使って読まないといけないんだろうと思った。私も、そのへんの角度をもうちょっと意識しながら読んでいった方が良かったのかも。

「オズの魔法使い」の物語をベースに、紅の探偵が事件を鮮やかに解決していく復讐の旅物語。全てを統べるひとつのクッキーを火口に投げ込んで滅ぼさなければ! そのために遠くカンザスの地にビンテージワインを届ける! そのウサギの足のお守りの謎とは…なんか混ざりすぎてねえか? 「ごんぎつね」まで混ざってた気が。おまえだったのか!!

決め台詞を持つ探偵のキャラクターも悪くないしストーリーの繋がりもあって、童話風の急展開の空気感。なかなかいい出来だった。

ユニコードの標準化の前線で頑張っていた人の話。小学館の編集者からジャストシステムに移って、ユニコードコンソーシアムへ。

すごい話が多かったな。異体字セレクタのところはこの人の仕事みたいですね。今ではユニコードは絵文字も取り入れたりしてますが、そこでも異体字セレクタはかなり活躍している感じがあるよね。

こいつの副作用? だと思いますが、環境によっては濁点が2文字扱いになって、濁点のひらがなを書いてからbackspaceを押すと濁点だけ消えるという状態になったことがあります。MacとかPDFとかで顕著だった気が。これはこれで便利だったりするのかなと悩んだりもしました。慣れるべきか、慣れられるワケがないのか。あと中華フォント問題とかね。中華フォント問題はエンコードとは関係ない? 話だけど。

ユニコードの普及は人類にとってはすごく良いことだったと思うよ。これのおかげで日本人が使えるソフトウェアが増えたのは明らかだ。今の若い人にはUnicode前の石器時代の状況は信じられないだろうねえ。文字コードがとりあえず日本語の主要なものだけで3種類あって、1つはステートフルなエスケープシーケンスによる切り替え式、1つはバックスラッシュをはじめとする記号類のASCIIコードとかち合うというね。当時は私はなるべくEUC-JPを使うようにしてたけど、それだとWindowsの人が困るんだよねえ。ソースの先頭付近にコメントで「表」とか書いてたな。

この人が戦ってた頃に日本の計算機人が反発してたのは知っている。私の師匠筋の人もユニコードには悪い感情を持っていた。私は当時はUnicode前のC/C++やスクリプト言語で苦労して文字列処理していたので、日本語はEUC-JPで統合されればいいと思ってた。だけどそれだと日本人しか救われないからUnicodeになるのかなー、みたいな感じだった。JISコードのエスケープシーケンスはあまりにもクソすぎて冗談に思えたしShift-JISにも悪い面が多すぎた。TRONコードに夢を見たのはまさに一瞬だったなー。

ユニコード特にUTF-8はちゃんとした仕様でエンコード方法が標準化されたから、普通に真面目に書けば何も問題は起きないように設計されている。JISもEUC-JPもShift-JISも英語人が受け入れてくれるとはとても思えない仕様だったわけで、勝利は約束されていた。仕様も実装も、真面目に作る。これが大事だった。文字コードと文字列エンコードが分離された事実も大きい。私も含めて多くの人が両者を混同して使っていた時代があった。

まあソフトウェアの開発者である自分にとっても、今となっては技術が進んで文字列をバイナリ列として扱う機会も絶えて久しくなったから、それで済むならエスケープシーケンスすら、ありだった…のか??(それはない)

いわゆる「泡沫候補」的な人たちを丹念に取材した本。なかなか考えさせられる。奇抜なことをして人目を引こうとしている人もいるけど、それには理由があって…そして実際に政策自体はかなり真面目に考えている。資金力や知名度がないとどうにもならない世界で、どう戦うか。そしてなぜ戦うのか。

すごくいい本だった。私はこれまでの選挙ではそういう候補に投票したことがないんだけど、今度からはそういう候補に投票するという選択も考えてみようと思う。理想の政治制度とはどうあるべきなのか。

供託金の制度は廃止したほうがいいんじゃないか。それは実際そうだと思ったね。権力側にはメリットがなく、受ける側の利益が明確すぎるから、進まないんだろうな。こういうのは候補者じゃなくて、直接的なメリットを受けない有権者側から言わないといけない話なのかもしれないねえ。

世の中を変えたいと思っている、そのためにどうしたらいいのか必死で考えているのは、苦しんでいる人や苦しんだ経験がある人に多いと推測できるわけで、つまり立候補の動機が強いのはそういう人になる傾向があると推察する。そうやって制度が作られて弱者が救済されて回っていくのが民主主義社会の理想系なんじゃないか。そう考えると、供託金の制度は全く悪でしかないんだよな。

自閉症の子が書いた本。いろんな質問に答えたり、短編小説みたいなものも。文章も綺麗だし、素直に思いを書いたって感じがしますね。

小学生の頃の友達に、こういう子がいたなあ。一緒に遊んだことをなぜか覚えている。向こうが引っ越した後に1回か2回か、遊びに行ったり。こういう世界で暮らしてたんだなぁ。今頃どうしてるだろうか。

なかなか、会社で仕事してるとこういう人と関わることは少ないが、リモートになると自閉症の人も今より活躍しやすいようになるのかもしれないですね。コロナ生活の副作用。

子供や、子育てをする親に対して、まるで罰を与えるかのような対応をする社会について述べた本。私も実感を持つ分野の話ですね。

いろんな実感がありますね。例えば、実際手当や補助の類は安定的に運用されておらず、臨時ボーナスみたいな扱いにするしかないです。子育てと無関係な、失業給付とか生活保護とかは安定的に運用されていて、いざとなったら頼るよねという感じで冒険もできる感覚は持っているんだけど、いざ子育て関係になると、児童手当とか学費の補助みたいなやつはどうもアテにして過ごすことができない。いつの間にか条件がついたり、改悪されたりするのよね。

あとは、うちとかも共働きにしたら子どもは奨学金申請できなくなるのか…ひでーな。私の時は親の所得はそこそこあった状態で、貸与の奨学金を受けましたけどね。あれの返済が終わったのはいつだったか…まあそれでも貸与なことに不満は感じてましたけど。だって借金だからねえ。それすらできないケースになりうるなんて。…云々と次から次へと話せるかもしれんなー。めちゃ早口でさ。

まあ、確かにカネの問題は非常に大きいかな、というのは思った。非常に示唆に富む内容だったのは間違いない。ちょうど衆院選挙もやってることだし。

これは自分の考えだけど、(ちょっと支離滅裂な言葉になってしまうけども、)そこに才能の泉があるとして、多くの水を活かした方が多くの利を得られるだろうという原理を信じている。信じつつも、自分の周囲の人にはそれを出し抜いて上澄みになって欲しいよねという感情もあるわけ。正しい矛盾。自分の力で全員を救うことはできないから、しょうがない面はある。

一方でですね、子供も大人も幸せに暮らせる社会であって欲しいと思う一方で、少子化という現象自体はあんまり避ける必要がないと思っているというか…日本は長期的には自給自足の農業国(みたいな?)を目指すべきなんじゃないかと思っていたりするんだよね。そうすると適正人口はせいぜい3000万人くらいなんで、そこまで減るのは仕方ないんじゃないかと思ってたり。つまりこの著者を含む多くの人のレトリックのように「少子化が続けば日本は滅ぶ」なんていう極端な想像はしていなくて、国土という資源に対応する適正人口があって、その適正人口を下回ったら出生率なんて勝手に増えるはずじゃん、という感覚があるんだよね。「見えざる手」じゃないけど。そこに至るまでの苦痛は確かに大きく、痛い。それで、なるべく緩やかに移行してほしいという願いは、持ちつつも。スピードの違いだけであれば許容可能なんじゃないのかなと。そもそもここ200年(?)で急激に人口を増やしすぎたのが悪いんだよ。

例の「爆撃聖徳太子」の人の出世作(?)。同時代人が戦う。日本人にとっては夢の対決。躍動感がすごい。SF要素が強いかな。SF的な考証がなかなか楽しい。なるほどー、そういう解釈ならありうるなー! みたいな。

というわけで、かなりスペクタクルに楽しめた本だった。こういう趣の物語って、いろいろあるよね。源義経=ジンギスカン説とかさ。そういや長嶋茂雄=源義経=ジンギスカンだったという時代考証放棄の凄いやつも、若い頃に読んだことがあったなー。歴史SFはこういうのだから。

脳科学者が「正義中毒」に関して記述した本。まあ学術的な本ではないんだろうな。適当に殴り書きしたのかもしれない、と言ったら失礼になるか。もうちょっとエッセイ寄りにした方が読める気がしたな。軽く知識を得るという目的はそれでも達成されたはず。

正義中毒。

うーん、怖いねえ。私も正義に関する本はなんだかんだで好きではあるんだけれどもw、脳が快楽を感じてるんだろうなあ。恐るべき脳の反応。普通に考えて「どうでもいい」ことに熱くなってる人々の滑稽さが、実は中毒症状だったと。

後半のメタ認知の話は悪くなかったなー。自分も脳の老化は恐れているところではあり、新しいことをしているかどうか、ということには意識を向けることにしようと思う。今のところは、まあギリセーフと言えそうというのが、今日の自己分析。