古代インターネット文明では、男も女も暇さえあれば早朝から深夜までレスバに明け暮れていた。この本は、そのような文明史について記述している。まったく最近の若いもんはネチケットも知らんでのおw
なんていうわけではなく、インターネットあれこれを書いている。昔話から最近の話まで。インターネットもできてからもう50年も経つんですね。そのうちウェブが30年。数字に衝撃を受ける。私がインターネットに初めて接触したのは…と語りたくなる数字だ。
当時の大学にはグローバルで/16のサブネットがあって、研究室単位で/24が割り当たって、みんな手元端末に固定グローバルつけてたんだよね。SunのワークステーションにNECのX端末をつないで、/homeのquotaが5MBか8MBくらいしかなくて、NCSA Mosaicに満足できなかった奴がquota全部使ってnetscapeを/homeに突っ込んで英雄になり、そこにシンボリックリンクの嵐が降り注ぎ、gopherやarchieが…長くなるのでやめますが。老人ムーブはいかんな。
あれやこれやで、焦点の定まらない感じの記述が続いていく。一般的な話がベースになっているのはこれまでの広報活動(?)がうまくいっているということでもあるんだろう。そしてこの本に記述されていること、その全部を、村井純は経験したんだろうな。全部を。なんて充実した50年だったんだろう。インターネットの中の中の中を駆け抜けた人生。しかし奥付けを見ると、村井純も1955年生まれってことはもう70になるのか。それもそうか。
しかし歴史で重大なこととして書かれている、コロナなんてもうみんな忘れてるもんな。オレはもう忘れたし。だいたい10年前だっけ? もっとか? みたいな。喉元過ぎればコロナも忘れる。ネットバブルの頃はこういうのをドッグイヤーとか言ってましたね確か。今はVUCAみたいな単語に衣替えしている。