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山椒の実

音楽が聴けなくなる日 (永田夏来・かがりはるき・宮台真司)

電気グルーヴの薬物逮捕→自粛に関連する、「そんな社会でいいのかい?」な話。今やデフォルト側が「自粛する」方になっていて、深く考えない限り自粛、という感じになっている。そんな社会に違和感を覚える。3人の著者がそれぞれ持ち味を出して論じた本。

もう30年以上? 前に読んだ問答集? エッセイ? みたいなものの中で、確か筒井康隆だったと思うが、著者の人となりがどうの…みたいな話を振られた際に「人に興味はない。作品に興味がある」みたいな返しをしていた。ぶっきらぼうな感じがカッコ良かった。それを読んで以来、私はずっとそう考えるのが正しいと思ってきた。だからクリエイターが犯罪者だから自粛、という風潮には抗いたいと思っている。薬物犯は患者or被害者という側面もあって、なおさらそう思う。思うけど、それができているのか? この本を読みながらの自問自答が続いた。

途中に出てきたレコード会社の人の言葉には気付かされた。作品ではなくアーティストを売った方が利益が上がるので、そうしているということ。であれば、アーティストに問題があれば作品は売れないという論理なわけだ。なるほど。実際に自分が音楽や小説を読むときも、気に入った作品の作者の別の作品に手を伸ばすというケースは多い。なるほど。我々はアーティストを消費しているのか…納得したくないけど、事実であることは認めないといけなさそうだ。音楽の選択、本の選択…心当たりがある。

私の業界で言えばそれはReiserFSという話になる。こちらは薬物ではなく殺人犯で、自分の名前をつけた人気のあるファイルシステムのコードをLinuxカーネルの本家に取り込ませて、メンテナンスしていた作者。これも20年以上前の話か。最近になってメンテナがいないという理由で取り除かれた。開発者の犯罪で一気に人気が落ち、次いで新機能が入らなくなり、売りとなる機能も他のファイルシステムで実現できるようになって利用者はほとんどいなくなっていた。人気があった当時、NFSで使ってバグるという経験は、したことがある。即自粛という動きではなかったが、長い時間をかけて同じような流れになった。作者の犯罪が製品に影響を与え、周辺の人のモチベーションを下げるのは事実。

まあ薬物系の問題は「ドーピング(健康を害するズル)じゃないの?」という感じ方も、アリと言えなくもないかなあ。でも与えられうる罰則は「活動停止〇〇日」くらいのもんじゃないのかねえ。レコード会社とかも「宣伝はしませんよ」程度でいいんじゃないかな? つまり自分としては、消費者側が選べばいいだけなんじゃないの、という感じ。犯罪経験者の作品を聴きたくなければ、単に買わない/ブロックすれば済む話なんだよ。そしてそのくらいは誰も何もしなくても実現できている。