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山椒の実

われらの子ども 米国における機会格差の拡大 (ロバート・D・パットナム)

副題の通り、米国の機会格差がどのように拡大しているのかということを記した本。日本は良きにつけ悪しきにつけアメリカの後を追っている面があるので、こういう本を参考にしてどういう社会にすべきか、すべきでないかを考えたりするのも悪くないんじゃないか。

家庭環境、教育環境、コミュニティ…色々な要素について深く掘り下げながら考察を加えている。子どもというのはやはり周囲の大人の影響をどうしても強く受けるわけで、どういう大人と接して過ごすかというのは人生にとって大きい。そこは世界共通のものだろうね。そこが一つの大きなチャンスの格差になりうる。そうやって接する隣人が麻薬の売人か大学教授か…その違いは大きいだろう?

例えば学校のクラブ活動というものはアメリカにもあるが、参加が有料化されていたり、有料化はダメという制度になったら寄付を事実上義務付けたりしているらしい。それを支払えない家庭はクラブ活動という教育に接する機会を奪われてしまう。支払える子どもはコーチという大人が良き助言者として振舞ってくれる場合がある。

あとはやはりアメリカは教会が大きな役割を負っているんですね。日本だとそういう存在がなく、堅牢性に欠けるような気もするね。筆者が追った貧者のサンプル群の中で、教会の聖職者の助言に救われたという話も印象的だった。

アメリカでは都市部に貧者が集まってきて、金持ちは郊外に集まるらしい。なんかどっかでそういう話は聞いたことがあるな。城塞都市みたいになってて物理的に貧者が入ってこれないって話。日本でも郊外の方が子育てには良い環境だろうとは思うが、貧富の違いで言うと都市部の方が年収は高いし、金持ちが集まる特定の郊外、というのはあるのかどうか…仮にあるにしても、あまり知られていないよね。昔で言うところの田園調布とか? 郊外というほどの郊外ではないという印象。あそこはいまだに豪邸は多いけど。

取材を重ねた個々の子どもや親のストーリーを追うパートも迫力はあるんだけど、それ以上に全体的にいろんな要素に出てくる数字やグラフに衝撃的なものが多い。グラフはだいたいシザース型なんだけど、1980年代頃を境に機会格差がどんどんひどくなっていく、という様々なグラフ。この頃にアメリカンドリームが死にはじめたんだなということを否応無しに読み取ってしまう。

あと興味深かったのはコミュニティカレッジという制度ね。単科大学(カレッジ)と総合大学(ユニバーシティ)の区別が日本にはあまりないのでピンとこないが、カレッジそのもの以外に、2年制くらいで誰でも入って高校卒業後の教育を受けられるシステムがあるらしい。貧乏でどうしようもなければこういうところで学問を受けるチャンスがある。ただそのチャンスの存在を教えてくれる大人が近くにいる必要がある…

この本で言われているような機会平等の欠落は社会にとって良いものではない。人口当たり一定の能力の泉があったとして、本人の能力と関係のないところで選別してしまう群と、そうでなく機会平等が確保されていて能力の高い人物を見逃さない群ではどちらが発展するか。アメリカでこのような機会格差が拡大し続ければ、あるいは日本にも将来の勝ち目はあるのかもしれない。現状ほぼ全ての面で負けていますし、勝ち筋がどこにも見えない状態ですからね。