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山椒の実

無戸籍の日本人 (井戸 まさえ)

いろいろな理由で戸籍に登録されずに過ごすことになった人々が、どうにかして戸籍に登録したりする話。著者は元衆院議員で、自身の経験からずっと戸籍を得たい無戸籍の人の手続きを助けてきたらしい。戸籍がないと住民票やパスポートの発行も難しく銀行口座も開きにくく(不可能ではないみたい)、教育や就職にも不都合があるケースが多いらしい。義務教育すら受けられていないケースも多いとか。

まあ親にどんな事情があるとしても、無戸籍となった子供に責任があるはずもなく、責任のない人物が不利な扱いを受けるというのは正義に反する。そして親の事情というのもいろいろで、出生届を出せなかった親に責任を負わせるべきとは思えないケースも多い。

主要な事情というのは離婚の成立から300日以内に生まれた子を元夫の子と推定するという規定によるもの。別離してから書類上の離婚の成立が遅くなるケースもあるし、それこそ暴力がからむケースだと何十年も離婚を成立させられないこともある。さらに今は早産でも無事に育つケースが増えているし…という感じ。明らかに自分の子ではない赤子を自分とこの戸籍に入れるというのは、男側にとっても愉快ではないことで。

もともと問題の規定が成立したのが明治年代で、当時はDNA鑑定なんてものもなかったし男女の権利も違っていたという事情があるらしい。不倫も女はダメで男はOKだったし、男の都合で一方的に離縁できた時代。そこで妊娠中の妻を軽々と離縁できないように、仮に離縁しても子供への責任は果たそうね、という規定だったと。しかし今はそういう時代ではない。

問題の規程の排除に反対する政治勢力というのはちょっと…理解できない頭の構造。まあもともと選挙権のある人々ではないため得票につながるわけでもなく、メリットがないという判断をしたんでしょうけど。著者は民主党政権時代に衆院議員だったらしいから、当然、実現できなかったのは自身の責任も大きい。その言い訳は書いてある。つまり、ただただ小沢が悪いんだ、と。読者ナメてんじゃねーぞおい。

しかし、この本を読んでいて、そもそも戸籍とは何のためにあるのか。それについて考えざるを得なかった。著者はあまりそのことを考えていないみたいなんだけど、これって国が国民の所在を管理するためのシステムじゃないですか。戸籍システムの受益者は登録する側の国家であって、登録される側の国民ではないですよ。現実的な事務処理コストの都合で親に登録の手続き(出生届の提出)を義務付けているのであって、登録の責務は国家側にあるのではないかと思う。あとまあ戸籍ってのも古風なやり方で、単に住民票があればいいんじゃないのん、とも思うよ。戸籍なんて意識するのは結婚するときと子供できたときくらいだもん。

実際のところでも、登録しないことにより不都合があるのって納税を受けられない(?)国家側のほうなんじゃないかな。就学や就業が困難になるところとかも国家としては損失でしょう。住民の人口も把握できないようじゃ国家としては、ねぇ…

世界的に見ても、戸籍という概念がある国は珍しくて、出生届と死亡届だけで延々と辿っていけるようになってるとかいう話を聞いたことがある。その話を聞いた時に、戸籍でたどるよりもずいぶん合理的で楽なシステムだったような印象を持ったことを思い出す。