「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本が話題だったので、だいぶ昔に図書館に予約を入れていたのが今頃になって確保できたので読んでみた。
最初のペットボトルの話は因果の結びつけに無理があるとは思うが、リサイクルがうまく回っていないのは事実だろう。サイクルにして回すには、作って売って回収して再生する、という流れが必要になるが、回収するところで売る量の半分くらいになって(この値は優秀だと思います)、再生するところではその1~2割くらい。平均して、買ったペットボトルの10~20本に1本が何かに再生されるという計算。
おそらく技術的な問題があるため下流の再生の部分が流れないことが分かっているのに、絶大なコストがかかるけれど国民に(分別の手間を)転嫁できる回収の部分だけ発達させてしまった、というのが最大の問題でしょうね。分別して回収しても結局再生のアテがつかないから、そのまま燃やすしかないんだよね。ゴミを燃やすための燃料にするor熱を回収する、というのは分別しなくてもできることですから、分別に意味を持たせるには燃やしてOK(というか誰かに処分を押し付けてOKにしているみたい?)という現状はダメでしょう。再生の技術的な問題を解決してサイクルを回すか、分別回収をやめて無駄なコストを削るか、どちらかをしなければ非効率(による環境破壊?)を解消できない。こないだあった再生紙の問題も同じ構造ですね。再生の部分に技術的な問題があるためにごまかす必要が生じた。
それで飲料の話。缶やビンの話がなかったのでどうなのかは分からないが素人の印象としては缶やビンのほうが再生の効率は高いだろうから、環境をどうにかしようと思えば、回収に血道を上げるのではなく、ペットボトルではなく缶やビンの飲料を買う、という対策が正しい。あるいはアズネロで売っているタンブラーにサーバーから注いでもらうか。利便性を考えるとまあ…無理ってもんですよね。
国立競技場でペットボトルを売ってほしいと思っていたけど、缶やビンを売るべきなんですよ(無理)。