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山椒の実

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論 (デヴィッド・グレーバー)

何の役にも立たない、害悪にもなるような仕事の話。かなり話題になった本。シット・ジョブではなく、ブルシット・ジョブ。シットの方は単にやりがい搾取みたいなきつい仕事で、ブルシットの方は無意味な役に立たない仕事。むしろちゃんとした仕事よりも楽で、給料はいい。著者が大事にしているのは、本人の認識。やってる本人がブルシット・ジョブだと思うのは正確性があるし、メンタルの問題になる。印象的なのは、銀行家がストをやっても影響はほとんどなかったけど、ゴミ収集の労働者がストをやったら街が居住不能になったという話とか。当然だが銀行家の給料の方が何倍も高い。社会に対する仕事の重要性とは。

advertisingの反対がsubvertisingだと。広告が脅迫だというのはそうなんだろうな。恐れさせればカネが出てくるわけだから。でもフォトショ仕事が本質的に脅迫だという感覚を持って仕事をしているという話は興味深かった。やる作業をしてる側は深く考えてしまうんだろうなー。ガンが直る系とか、子育て関係の広告を見ると、脅迫そのものだよねと思う。恐れを感じている人の恐怖心を煽ることでカネを生み出そうとしている。

マインドフルネスがそんなにクソだとは知らなかったな。関わらないでおいて良かったよ。

でもさ、これってどうすれば解決できるのか…わからない、というのが正直な感想。やっぱベーシックインカムみたいに「仕事したい奴以外は仕事しなくても暮らしていけるようにする」しか、ないんじゃないかなー。そんなことを思った。

現象としては、効率が良くなったのに労働時間を減らす圧力を持たなかったことにより、無駄な仕事を増やして帳尻を合わせたってことなのかもしれないね。本文にあるように、労働効率上がってるんだから8時間労働を4時間にしても良かったんだと思うよ。だが社会がそれを許さなかった。理不尽。

社会の仕組みはうまくいってないのかもね。資本主義だからって効率が追求されてるわけではないんだ。それはよく分かったよ。

キリスト教だのピューリタンがどうとかいう話もあったけど、日本でだってそうなんだから、関係ないだろうね。

という感じで感想は雑多なものになった。考えはまとまらない。自分の仕事はインパクトの大きさはともかくとして、少しは世の中の役に立っていると信じたいが…