先日ガンで亡くなったらしいですね。偶然にも「恐怖の存在」を図書館で借りて読んでいたところでした。久しぶりのSF。マイケル? 「マイクル」のほうが私にはしっくりきます。
この作者は昔好きだったなぁと思って借りたんですが、実はマイク・レズニック(象牙のやつは最高ですよね!)と混同してて、最近はこんなの書いてるのかと思って。確かにクライトンも昔は読んでたんですけど、それほど好きでもなかったんですよ。読みだしてすぐに間違いに気付きましたが、せっかくなので最後まで読みました。内容は…非常に楽しめましたよ。最後にあんなことになるとはね。
この「恐怖の存在」はいろいろと物議をかもした作品です。上記の間違いに気づいてググったらいろいろ引っ掛かりました。作品自体はSFミステリ(サスペンス?)なんですがそこはクライトンですから、リアリティの出し方に凝っているため、ツッコミを入れている環境学者もいる。いわゆる最近の温暖化に関することなので神経質になってるんだろうと思います。実際いろいろ読んでみると(というか批判を先に眺めてしまったワケですが)内容をすり替えた変なツッコミで噛み合ってなかったりする。
これに限らず、環境学の議論は(ネット上のものを読む限りは)問題のすり替えを頻繁に起こしているという印象があって、正直うさんくささを感じます。中にはちゃんとした人もいると思いますけど、学問としては成熟してないのかもね。今は流行りで飛びついている学者が多い時期で、そいつらが去って忘れた頃に、地道にやってきた地味な学者によって本当の成果が出てくる、とかいうパターンなんじゃないかな。コンピュータサイエンスで言えば…正直そのへんは詳しくないけど、AIみたいな? 昔流行りましたよね。当時何ができたんでしたっけ?? おなじみのベイジアンフィルタとかはAI学の成果かな。
クライトンのは地球/自然は変動するのが当然なことで、簡単に管理できるものではない、我々はまだ自然について知らなさすぎる…というのがメッセージなんだと思いますけどね。
それはそうと、図書館で検索してみると、レズニックは最近はあまり書いてないのかな。Wikipediaの英語版のほうを見ると最近もたくさん書いてるみたいですけど、日本語訳は出てないようだ。残念。
(追記)
「恐怖の存在」を読んでいるときに、環境リスク学の本を思い出した。あれはいい本だったな。