霧塩村の朝は、いつからか鳥の声より咳の音で始まるようになっていた。井戸の石縁には灰みたいな粉がうっすら積もり、家畜小屋へ行けば、横たわる体の数を数える前に鼻が敗北した。藍次は山羊の口元へ布を当て、黒い泡が板に広がるのを見ないように手を速める。見たところで、今朝の餌は増えない。
「また一頭」
都和が言った。声は平らだったが、足先は藁を踏み続けている。
「次は人だな」
藍次が答えると、都和は怒らなかった。ただ、唇の色が悪い弟のことを思い出したのか、喉の奥で何かを飲んだ。
霧塩村の朝は、いつからか鳥の声より咳の音で始まるようになっていた。井戸の石縁には灰みたいな粉がうっすら積もり、家畜小屋へ行けば、横たわる体の数を数える前に鼻が敗北した。藍次は山羊の口元へ布を当て、黒い泡が板に広がるのを見ないように手を速める。見たところで、今朝の餌は増えない。
「また一頭」
都和が言った。声は平らだったが、足先は藁を踏み続けている。
「次は人だな」
藍次が答えると、都和は怒らなかった。ただ、唇の色が悪い弟のことを思い出したのか、喉の奥で何かを飲んだ。
朝まだき、川霧が田の畦を低く流れ、村はいつもより半刻早く目を覚ました。山の社から牛車が下りてくると聞いたからだ。先頭を歩く長老の樫兵衛のうしろで、荷台のむしろがやけに丸く盛り上がっていた。
触るな。まず寄合だ。
樫兵衛の声は低かったが、村の者はみな足を止めた。むしろがほどかれると、そこには桃があった。桃と呼ぶには大きすぎる、石臼ふたつ分の丸い実だった。薄紅の皮には、川面のような筋がゆらゆらと走っている。