私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ (遙洋子)
現代サバイバル術。生き残った者が知識を伝える。バリツの次に学習すべきと思って読んでみた。さてどう戦おうか?
かなり壮絶な戦いを生き抜いた人物なんですね。歴戦の猛者だ。芸能人は大変だな、という月並みな感想を持ったが、今や被害に遭うのは芸能人とも限らんからな。
自分はそこまでの執着心を持ったことがないので犯人の心理が良く分からないというのが実際のところ。どうなんだろう。いろいろな例で考えてみる。私は例えば、結婚していたり子供がいたりするけど、それらを取り上げられたところで? 第三者からの理不尽な扱い(誘拐とか)なら必死に取り戻そうとなるだろうが、本人がマジで嫌がって離れていくなら、まあ。幼少の頃から興味を持ち四半世紀に渡って従事する職種があるが、うーん、これに関しては生きていくのに有利だから、今の会社辞めても似たような仕事をするんだろうけどねえ。でも無理になったら別のことをやると思うなあ。20年以上フロンターレを応援しているが、なんか不祥事を起こして出入り禁止になったりしたら、どうしようかな。巨人の二軍かブレイブサンダースでも見にいくか。PythonとGolangを多用しているけど、使用禁止されたら? うーん、どうしようかな。なんかの言語を見つけるか。vscode禁止されたら? 俺たちにはvimがある。いっそemacsに戻ってもどうにかなる。
と、そのようなことをシミュレートして、ストーカー心理を自分ごととして考えようとしたけど、うまくいかなかった。分不相応の恵みを受けたとして、それが失われることを想像する。なるのか? この俺が。そんな危険があるとは信じ難い。まあでも、そういう奴がいるっていう知識は持っていたし、そうされる恐怖心というのも、この本を読んで理解を深めたつもり。ただ周囲の家族の鈍感さという部分に関しては正直意外性があった。言われてみれば、そういう心理になる現象は理解できる。正常性バイアス? ちょっとしっくりこないか。何ていうのが正確なんだろう。この本では著者の実家に上がり込んで過ごすストーカーが出てくる。これはまずいとなって戦うのは老いた父だけだが、勝てない。母も兄も兄嫁も近所の人も、黙認するんだよね。母に至っては逆に戦う父を責め続け、警察に告発する時も報復を怖がって渋ったという。
この本と著者がすごいのは、自分自身もストーカーだったという事実。被害者の恐怖も加害者の心理も知り尽くしている。その記述があるので、男は体力優位だから男の被害なんて知ったこっちゃない、という態度は単なる自己弁護と見られてしまうだろう。しかし神はなぜ男女に体力の差をつけたのか。自分はあまり神を信じないが、理不尽を感じる。命の危険が大きい。
紹介されている危険度のカテゴリーはなかなか参考になった。何がカテゴリーを越えさせるのか。そして読後、改めて某頂き女子のマニュアル(これはこれで名著だ)を熟読する。なるほど、こいつの命が無事だったのはすごい偉業だ。