古文書返却の旅 (網野善彦)
借りパク上等の古文書界隈? 壮大なアーカイブ計画が頓挫して大量に手元に残された古文書の返却をライフワークにして数十年。主要関係者の逝去も影響し…すぐ早く返せないものかねえ。管理がなってないんじゃないの? と言いたくなるが、果たしてどうか。
普通は激怒されて当然のこの状況。旧家の鷹揚さからか、著者のパーソナリティからか、不思議と怒られずにさらなる古文書を貸してもらえたり寄贈にしてもらえたりしたらしい。まあ今更持っているよりは研究機関に保管してもらったほうが、いいことが多いだろうな。現代人には、守り抜いて次代に伝えるタスクは辛いものがある。個人の努力ではどうにもならないケースも多いのでは。
今だと原本を借りる必要はなくて、現地で複写なり撮影すればよいのではないかなと思った。でも虫食いとかで状態の良くないものはそうも行かない。そういう描写(整復作業や現地での作業)もあった。
しかし凄いね、蔵持ちの旧家ってのは。古文書の宝庫ではないか。保存技術もそうだが、既成概念を打ち砕く文書の多さも。今なら全部電子化してS3に置いとけばいいんだろうけど、それに行くまでのコストはどれほどかかるだろう。
私の実家は祖父が5男とかそのへんだったこともあって昭和に入ってから建てられた家で、古文書には縁がないなあ。祖父の実家はそれなりに旧家だったようなのでそこにはあるのかもしれないが、自分までは縁がない。当家はさらに私の代で独立して20年弱の歴史しか刻んでいない。古文書と言えるものは、子供の幼稚園時代の絵とか?? そういうのすらもせっせと捨てちゃってて、残ってないのだ。蔵を立てるにゃほど遠い、ということがこの一件からも窺えるだろう。