いまのボブ・サップのセリフ、「シバイタル!」に続く「オマエモ、ガンバレヨ!」に爆笑してしまった。不覚。
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明日香村に行ってきた。かねてより行きたいと思っていたため。写真もどうぞ。 明日香村はあちこちに遺跡があり、起伏の多い狭い道を回る。つまり明日香村を往くにはレンタサイクルである。しかし私は脚力に自信があったのと、この歳で自転車に乗れるか心配だったので(笑)、歩きにした。 いきなり道に迷ったがどうにかリカバーしてまずは高松壁画館へ。壁画館では発掘された壁画を再現している。再現しているだけのくせに入場料を取りやがった。 高松遺跡の周辺をさまよい、文武天皇陵をおがんで(しかし古墳はただの丘であるというのは綱島古墳などでよく知っていたが…略)、いろいろ歩いた挙げ句に歴史館とかいうところで地図を見る。キトラ古墳は遠いのでキャンセルし、まずは鬼の石を見て亀の石を見て…まったく生活と同居した観光というものを満喫した。村人もノリノリで、聖徳太子の生誕の地という場所の近くの中学校が聖徳中学校だったりした。たぶん公立なのだが、いいなあ聖徳中学校。 次に変な寺の二面石とかを見て石舞台に行くことを決意。しかし展望台とやらに引かれて山を登り、マラ石というちょっとモザイクが必要な石を見て回り道しつつ、古米の田んぼ(判別不能だったが)の近くを通りながら石舞台へ。石舞台はなかなか壮観だった。 あとは岡寺という、二面石から展望台に寄り道する前の道中で見えた山の上にあるお寺に参拝。三重塔を拝んで線香をあげ、鐘を突いた。 次に酒船石や亀形の石が謎に並んだ遺跡を見て、日本最古の飛鳥寺へ。ひたすら拝んで手を合わせ、鐘を突いた。奈良ということもあって天理教の立派なお寺があったがそれはパス。その後は橿原神宮前の駅に帰った。 こう書くとあっさりしているようだが、猛烈な距離を歩いたよ。ほとんど休憩なしで11時50分から16時55分まで、歩きまくった。電車の中で確認したら、靴底に穴が開いていた。けっこう履いたGTホーキンスだが、万感の死を死んだ。まあ横浜に帰ったら買うとしよう。 数組の人の写真を撮ってあげたり道を教えたり(知らないのに)したが、やはり観光客は老人が多い。老人と、子供の集団ね。若い(?)男の一人旅は自分以外に1人だけは亀形石のところで確認できた。まあそれもいいだろう。現代の農業と歴史の遺跡が同居しているのが不思議すぎる。これがなぜかマッチしてるんだよねぇ。 土産は何も買わなかったため、行きも帰りも手ぶらで、気楽に歩きまくった。そして夏休みは終わった。しかし1メガピクセルのデジカメで256Mって猛烈に撮れるなぁ。無意味に撮りまくったのに、まだ容量余ってるよ。jiglはaviファイルとかwavファイルに対応してないので動画や音声は見えないなぁ。今度対応させようかな。
姫路(yahoo.co.jp)に行ってきた。某タレント(yahoo.co.jp)の出身地だから、ではない。のぞみが止まるようになったと聞いて、城を見に行ったのだ。写真もどうぞ。 ひとまず朝起きて新横浜のATMで28,000円をおろしたら、全部1,000円札だった。財布は紙幣の束でパンパンである。ひとりインフレ気分でそのまま自由席の切符を買い、すぐに来たのぞみの自由席(1〜3号車)に飛び乗った。まるで山手線に乗るような、そんな感じ。手ぶらだし。このへんが気ままな一人旅ってやつかな。 見ろよ、東海道は日本晴れだ。 こののぞみは新大阪止まりだったので、新大阪でひかりに乗り換えた。次ののぞみ(ひかりレールスター?)も姫路には止まるし先に着くようなのだが、のんびり行くことにした。おかげで上半身のストレッチを十分行うことができた。車窓から看板を見るに、神戸製鋼の愛称は本格的にコベルコらしい。ラグビーのチーム名だけかと思っていた。そうこうしているうちに姫路駅へ。車窓からかすかに城が見えた。 YBBの猛威はこの城下町にも押し寄せている。まずは適当にぐいぐい歩いて城内に侵入。 駅からズバリの広い一本道で、車道もそうだが特に歩道が広い。ただ植木が2段構えになっていて、それのせいで歩道から城が見えないというのは不興。おもむろに横断歩道を渡ってみると非常に美しく見えたので、車で来た人は感激だろう。 城内は修学旅行のような集団がいてなかなかうるさかったが、さすがに天守閣の美しさは絶品である。西の丸から見ていった。戦闘や消失を経験していないということで、ただのオブジェじゃねーの? と侮っていたが、構造を見るに、それなりの戦闘能力は感じられた。堀は浅そうだが石垣が高くすべての塀に抜かりなく弓矢や鉄砲を撃つ穴が配置されていたり、武具置き場も豊富だ。兵士の詰め所もいろいろ工夫されていた。 また、城内もほどよく暗く、城の雰囲気を堪能できるだろう。やはり電気のない時代を考えるときは暗いほうが断然リアルだ。姫路城は天守閣の展示も悪くない。小田原城のような戦闘戦闘また戦闘という迫力こそないが歴史のロマンが満ちあふれている。鯱ばかりをフィーチャーしまくった挙げ句に最上階に土産物屋があるなどという名古屋城のような下品さ(失礼!)もなく、品のよい神社のようなものがあって往年の城主があがめた神がまつられている。私も自然と賽銭を取り出してためらいなく放り込んだ。こころなしか道行く人の関西弁も上品に聞こえる。小田原城のような野生感がなくあっさりしているかと思えば歴代城主に対する畏敬の念も強いという。まさに名城と言えよう。大柱がイカれたために昭和の時代に解体して組み直しているが、火災や戦火にさらされていない名城はここだけである。城の南(?)のところで、組み直したときに新たに切り出した大柱に使った大木のところに生えていた(説明がわかりにくいね)木を育てている。樹齢何百年だかの木を使わせてもらったのだから、そのぶん育てておいて、次回(何百年後になるかわかんないけど)は自前のを使うぜという心意気であり、ちょっといい話なのだった(たぶん)。 ライトアップの設備があったので、日が暮れたら見てみたい気もした。 観光客はやはり外国人が多い。私もplease take a pictureと2人組の女性に頼まれて写真を撮ってあげた。あの顔のところに穴が開いてる観光地ではおなじみのやつ。当然、「はいチ〜ズ」も含めてすべて日本語で対応してあげた(笑)。あと、おっさんに道を聞かれたりもしたがわかるわけがない。ごめんね、おっさん。 隣にある好古園という施設には品のよい日本庭園があり、私には到底理解できなかったのだが風情のある数々の庭園にただただ恐れ入るばかりであった。ただ一つ言えるのは、池の魚の密度が高すぎるのでは、ということだけだ。びっしり生きていた。まあそれはともかく、戦の経験のない武士たちがこのような風情に感じ入っていた…かどうかは定かではないよな。でもそう感じた。武士の仕事は戦闘だけではなかったのだ。 この後城の周りを一周したり英霊がまつってある護国神社で手を合わせたり、歴史博物館に行った。交差点のところにある城が見える台は特筆すべきで、やはりこの街の中心は城であるということを実感させられた。 ところで、なぜか正門近くに「高田の馬場」という店があった。播州赤穂の浪士の一味となる堀部某が高田馬場で決闘したのと掛けている? でもこの城は確かに播州だが浅野の居城じゃないよねえ。あと宮本武蔵がうるさすぎ。観光資源としては魅力的なのかもしれないけどねぇ。NHKめ。昔鎌倉に行ったときも北条氏ということでなんだっけ、時宗か。あいつがやたらに出てきてムッとしたのを思い出す。 それはともかく。 歩きつつ思うに、明治から昭和にかけての戦時中というのは日本人にとっては城に象徴される武家社会の延長であったのではないかと、ふとそう思った。少なくとも現代人にはそういう意識はないと思うのだが、城内や城外には太平洋戦争の戦没者の追悼施設が多く見られた。とにかく今日は歩いた。明日はいよいよ明日香村だし今日以上に歩くつもりだが。ということで疲れた体を休めるべく、私は静かにホテルで身を横たえた… …のだが暗くなってから起きて、明日の下着を買いに行くついでに正門まで走ってライトアップを見てきた。城の白が夜空に映える。バックが星空だったらなおさら美しかったであろう。大都市では無理な話だし、ライトアップとは両立しないのはわかっているが。思わずにはいられない。 商店街は大量にあるがすでに人混みはなく、ほとんどの店が閉まっていた。20時前というに。まあでも、けっこう暮らしやすそうな街だとは思うよ。大都市だし城もある。神奈川県における小田原市に匹敵する。小田原にのぞみは止まらないが。
旅先の朝日新聞で読んだのだが、日本で形や状態の条件で売れずに捨てられていく野菜をロシアに輸出したら非常に人気が出たらしい。 形で売れないというのは家庭向きで、飲食産業向けとか飼料向けに売ってるんだと思っていたが、単に捨てていたらしい。味は変わらないので、形にこだわらない人にはやすくておいしいいい野菜、ということになる。我々のような貧乏な消費者にも売ってほしいけど、値段が安いと店が儲からないとかで売ってくれないってのもあるのかもね。
旅先で見たニュースで、また米泥棒が出たらしい、とのこと。今回のはすごくて、ああ記事見つけた(yahoo.co.jp)、刈り取られてるのね。ここで私は遅ればせながら、ハタと気がついた。さすがにこれは気がつくのが遅すぎたと思うので非常に恥ずかしい。要は、 ああ、これは「組織」がからんでいるのだ。 ということに気がついたのだ。なるほど。なんか、万引きと同じレベルで考えていた。まあ万引きも、もしかしたら組織がからんでいるのかもしれないのだが。
いま西のほうから帰ってきた。1泊2日だったのだが、つかれたー。というわけで帰路で満龍で味噌ラーメン+餃子。満龍で食うのはずいぶん久しぶりだ。やっぱ横浜名物と言えばラーメンだよね、ってことで。
表題の通り、ウェブサイトにおける一種の制服になりつつあるRSS。RSSを着用することで着用する者同士の一体感を云々し、着用していない者に対しては頻繁に更新されているであろうウェブサイトであると知らせるという寸法だ。ついに(?)はてながRSSに対応(hatena.ne.jp)したりしている。 というわけでトップのはてな関係を修正した。題名の「はてなダイアリー - 」までは余計だと思うのだが、切るつもりはたぶんないだろうな。「はてな」であるかどうかは読者には(たぶん)興味がなく、RSSのタイトルについている必要のある情報とは思えん。
どうでもいいのだが、 ご冗談でしょう、坂村健さん(linux.com)と 困ります、八田真行さん(linux.com)ときた。ファインマンさんをダシに使いやがって。まあそれはともかく元ねたの本もけっこうおもしろいから、科学系に興味のある文人は読んでみたらいいと思う。専門的な話はほとんどないので誰でもついていける。…文庫(amazon.co.jp)になって(amazon.co.jp)たのか。
今まで、このページはanother-htmllint(ring.gr.jp)で-187点という優秀な成績を叩き出していたので、いろいろ文法的な部分を直して、どうにかプラスまで持っていった。XHTML1.0を使うことにしていたのに中途半端で、DOCTYPE宣言もまるっきり違っていたのだ(笑)。 とりあえず現在の状態では何も指定しないと82点で、-noreligious -noaccessibilityを指定したら95点。タグの問題(XHTML1.0にはタグがないらしい)は納得いかないがエントリを直した。あとはがの中に入ってしまう問題をどうにかすれば、アクセシビリティと宗教的な問題を除いたエラーはなくなる。 アクセシビリティの問題を直すのにはかなり工事が必要になりそうだ。
デジタル放送の「善意の嘘」は許されるか(cnet.com)では地上波デジタルは失敗する、となっている。確かにねぇ、1年前に20万くらいしたテレビが7年後に捨てなければならない(しかも引き取り料かかるの?)なんて聞いたらうんざりする。 っていうかおれはチューナー配布と工事をただでやってくれるんだと思ってたんだけど、違うのかな。おれらに負担させるつもりか? そもそも、もともとのメリットがわからん。っていうかこんなおもしろいことを役人に決めさせるのはもったいない。国民投票やって決めようぜ。 まあ、↓の簡単な計算は説得力があるね。
「自業自得」ですむBSデジタルとは違って、地上波デジタルは国民全員に迷惑を及ぼす。総務省の計画どおり2011年に現在のアナログ放送の電波が止められると、全国に1億台以上あるテレビは、すべて「粗大ゴミ」になってしまうからだ。今年末の放送開始から7年あまりで、日本中のテレビをすべてデジタルに置き換えるには、毎年1400万台もデジタルテレビが売れなければならないが、日本のテレビは毎年1000万台しか生産されておらず、そのうちデジタル受信機は100万台足らずだ。地上波デジタル化計画は、物理的に不可能なのである。