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姫路路

姫路(yahoo.co.jp)に行ってきた。某タレント(yahoo.co.jp)の出身地だから、ではない。のぞみが止まるようになったと聞いて、城を見に行ったのだ。写真もどうぞ。

ひとまず朝起きて新横浜のATMで28,000円をおろしたら、全部1,000円札だった。財布は紙幣の束でパンパンである。ひとりインフレ気分でそのまま自由席の切符を買い、すぐに来たのぞみの自由席(1〜3号車)に飛び乗った。まるで山手線に乗るような、そんな感じ。手ぶらだし。このへんが気ままな一人旅ってやつかな。

見ろよ、東海道は日本晴れだ。

こののぞみは新大阪止まりだったので、新大阪でひかりに乗り換えた。次ののぞみ(ひかりレールスター?)も姫路には止まるし先に着くようなのだが、のんびり行くことにした。おかげで上半身のストレッチを十分行うことができた。車窓から看板を見るに、神戸製鋼の愛称は本格的にコベルコらしい。ラグビーのチーム名だけかと思っていた。そうこうしているうちに姫路駅へ。車窓からかすかに城が見えた。

YBBの猛威はこの城下町にも押し寄せている。まずは適当にぐいぐい歩いて城内に侵入。

駅からズバリの広い一本道で、車道もそうだが特に歩道が広い。ただ植木が2段構えになっていて、それのせいで歩道から城が見えないというのは不興。おもむろに横断歩道を渡ってみると非常に美しく見えたので、車で来た人は感激だろう。

城内は修学旅行のような集団がいてなかなかうるさかったが、さすがに天守閣の美しさは絶品である。西の丸から見ていった。戦闘や消失を経験していないということで、ただのオブジェじゃねーの? と侮っていたが、構造を見るに、それなりの戦闘能力は感じられた。堀は浅そうだが石垣が高くすべての塀に抜かりなく弓矢や鉄砲を撃つ穴が配置されていたり、武具置き場も豊富だ。兵士の詰め所もいろいろ工夫されていた。

また、城内もほどよく暗く、城の雰囲気を堪能できるだろう。やはり電気のない時代を考えるときは暗いほうが断然リアルだ。姫路城は天守閣の展示も悪くない。小田原城のような戦闘戦闘また戦闘という迫力こそないが歴史のロマンが満ちあふれている。鯱ばかりをフィーチャーしまくった挙げ句に最上階に土産物屋があるなどという名古屋城のような下品さ(失礼!)もなく、品のよい神社のようなものがあって往年の城主があがめた神がまつられている。私も自然と賽銭を取り出してためらいなく放り込んだ。こころなしか道行く人の関西弁も上品に聞こえる。小田原城のような野生感がなくあっさりしているかと思えば歴代城主に対する畏敬の念も強いという。まさに名城と言えよう。大柱がイカれたために昭和の時代に解体して組み直しているが、火災や戦火にさらされていない名城はここだけである。城の南(?)のところで、組み直したときに新たに切り出した大柱に使った大木のところに生えていた(説明がわかりにくいね)木を育てている。樹齢何百年だかの木を使わせてもらったのだから、そのぶん育てておいて、次回(何百年後になるかわかんないけど)は自前のを使うぜという心意気であり、ちょっといい話なのだった(たぶん)。

ライトアップの設備があったので、日が暮れたら見てみたい気もした。

観光客はやはり外国人が多い。私もplease take a pictureと2人組の女性に頼まれて写真を撮ってあげた。あの顔のところに穴が開いてる観光地ではおなじみのやつ。当然、「はいチ〜ズ」も含めてすべて日本語で対応してあげた(笑)。あと、おっさんに道を聞かれたりもしたがわかるわけがない。ごめんね、おっさん。

隣にある好古園という施設には品のよい日本庭園があり、私には到底理解できなかったのだが風情のある数々の庭園にただただ恐れ入るばかりであった。ただ一つ言えるのは、池の魚の密度が高すぎるのでは、ということだけだ。びっしり生きていた。まあそれはともかく、戦の経験のない武士たちがこのような風情に感じ入っていた…かどうかは定かではないよな。でもそう感じた。武士の仕事は戦闘だけではなかったのだ。

この後城の周りを一周したり英霊がまつってある護国神社で手を合わせたり、歴史博物館に行った。交差点のところにある城が見える台は特筆すべきで、やはりこの街の中心は城であるということを実感させられた。

ところで、なぜか正門近くに「高田の馬場」という店があった。播州赤穂の浪士の一味となる堀部某が高田馬場で決闘したのと掛けている? でもこの城は確かに播州だが浅野の居城じゃないよねえ。あと宮本武蔵がうるさすぎ。観光資源としては魅力的なのかもしれないけどねぇ。NHKめ。昔鎌倉に行ったときも北条氏ということでなんだっけ、時宗か。あいつがやたらに出てきてムッとしたのを思い出す。

それはともかく。

歩きつつ思うに、明治から昭和にかけての戦時中というのは日本人にとっては城に象徴される武家社会の延長であったのではないかと、ふとそう思った。少なくとも現代人にはそういう意識はないと思うのだが、城内や城外には太平洋戦争の戦没者の追悼施設が多く見られた。とにかく今日は歩いた。明日はいよいよ明日香村だし今日以上に歩くつもりだが。ということで疲れた体を休めるべく、私は静かにホテルで身を横たえた…

…のだが暗くなってから起きて、明日の下着を買いに行くついでに正門まで走ってライトアップを見てきた。城の白が夜空に映える。バックが星空だったらなおさら美しかったであろう。大都市では無理な話だし、ライトアップとは両立しないのはわかっているが。思わずにはいられない。

商店街は大量にあるがすでに人混みはなく、ほとんどの店が閉まっていた。20時前というに。まあでも、けっこう暮らしやすそうな街だとは思うよ。大都市だし城もある。神奈川県における小田原市に匹敵する。小田原にのぞみは止まらないが。