今日のTV番組

今日はこれの日かー。緊急報道ドラマスペシャル オウムVS警察 史上最大の作戦(ntv.co.jp)

1995年、日本は、
地下鉄サリン事件など、一連のオウム事件に明け暮れた。

まさにそうだった。あれから9年も経つのだなぁ。というわけで「私とオウム事件」の作文。

松本サリン事件のとき私は高校時代で、「こいつ100%死刑だよ」と冤罪のあの人を言う友人がいたが私は死刑はないなーと思っていた。冤罪とまでは思わなかったので情報に疎かったのだろう。後から思えば、報道だけでも冤罪を示唆する奇妙な情報がたくさんあったように思う。この時にして初めて、報道を見るときは隠されているかもしれない本質を見抜く目が必要不可欠なのである、ということを私は思い知った(油断できねー)。冤罪説に1万円くらい賭けてたらけっこう儲けることができたはずだ(なんだそりゃ)。

オウムは奇妙な脚光を浴びていて、うちの学校(高校及び大学)からもオウムの幹部を出していたので、高校の先生は「あいつどうなんだ」と心配していた。卒業後に高校に行く用事があって、その時に話したんだったかな。まあ、そんなこんなで。このころ、秋葉でマハーポーシャのビラをもらって店にちょっと入ったこともあるよ。なんだか回路で超速い! 安い!とかっていう。当時あのビラ配りは名物の一つになっていた。駅前のハクション大魔王おじさんと、このビラ配りが二大名物ね。当時は秋葉原によく行っていて、そこ(ビラ配りの場所)はたいてい通るルートだったんだ。私はあまりもらわなかったけど、たまにもらうと「おもしろ怪しい」の(笑)。なんかの宗教だっていう噂は当時からあった。他の店もビラを配っているところが増えてきて、学校で友達とそういうPC屋のビラを見せ合って、カネもないし、うんうん唸っていた。

それと秋葉原と言えばちょっと恐い思いをしたことがあって、というのは当時秋葉原ではピンク色のひらひらの服を着て赤いランドセルを背負ったオッサンが濶歩していたんだけど、実際店員と話す声とか聞くとまさにオッサンなんだよね。で、その人とSofmapの狭いエレベーターで2人きりになってしまったことがあって、かなり恐かった。私のこれまでの半生における三大恐怖の一つに数えられている。ピンクひらひら服+赤ランドセル+オッサン。これに狭いエレベーター+二人きりときたらさすがに震えが止まらない。今となっては秋葉原に行くことも滅多になくなったけど、「一生懸命バイトしたお金をもらった足ですぐにノートPCを買ったときの店」とか、いろいろ思い出のある場所であることは間違いない。

脱線してしまった。話を元に戻そう。

そして地下鉄サリン事件が起きたとき私は大学時代で、合宿のため上九一色村の隣村にいた。みんなで食事している最中にテレビの報道で事件を知り、霞ヶ関に通う官僚を親に持つ先輩が心配して電話しまくっていたのを覚えている。合宿中は上九一色村が舞台になるとは思っていなかったのだが、意外とタイムリーな場所にいたのだなと思う。

それと選挙だの葬儀だのがあって、奇妙な踊りを踊っていたんだよね。たしか高田馬場でもやってたんだけど、直には見なかった。あと大学時代にオウムがまた事件を起こすとかっていう風説が流れて、家族に「今日は大学に行くな」などと言われたことがある。講義があったので一応行ったけれども2限の開始時間を間違えて、1時間くらい早く着いてしまった(笑)。たぶん、私も普通の状態ではなかったのだろう。

その後大学院に進んでオウムが摘発されてきた頃、市ケ谷にあるビルに出入りすることが多くなったのだが、そこで一時期カラスだかフクロウの人形が使われていた。これは警察が使っていたマークで、人形が向いているビルは怪しい人が出入りしてるけど関係ない、という感じで使っていたらしい。社員が気味悪がって取り除いてどうの…とかって話があった。実際私が出入りしていたビルはオウムとは関係なかったものの、修行してそうな雰囲気の人は出入りしていたのだ(徹夜が多いので)。

まあ、そんなところだ。

(追記) 2004-02-24 23:20

で、番組を見た。松本サリン事件は大学入ってからだな。勘違いか。でも事件について高校の友達と話した記憶があるんだよな。

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