思考の中心は頭髪である。老人がボケるのは頭髪が乏しくなっているからだし、若者がバカなのは茶髪だからだ。赤子が喋れないのも頭髪が乏しいからである。これは文化人類学的に正しいことになっているそうだ。養毛剤は受験勉強においてはドーピングの扱いを受けている。であるからして、茶髪の生徒はどうせ学習できないので授業を受ける必要はないはずだ。
茶髪生徒に授業受けさせず 松山市の中学、別室で自習(yahoo.co.jp)。
松山市の市立中学校で、髪を茶色や金色に染めた3年男子生徒(14)に対し「ほかの生徒に影響を与える」として、学校側が昨年4月から教室で授業を受けさせず、会議室で自習させていることが14日分かった。
という理論でいいのかなぁ。よくわからんが。まあ、弱年用の学校というものがいわゆる理想郷であることを示す例であると言えよう。そう言えば、中学校のときの担任の教師が野球部の顧問をやっていたが、部員が丸坊主にするべき理由を以下のように理路整然と述べていた。
野球やりたい思いが強いなら丸坊主にするくらいなんでもなかろう。だから刈れ。
まあみんな黙って聞いてたけど、納得した生徒は一人もいなかったろう。どういう教育を受けて完成された理論なのだろうか。今にしてもやはり不思議に思う。せめて「帽子/ヘルメットかぶるときに邪魔だから刈れ」とでも言えば部外者は納得できたのに。このような環境で論理を学ぶことはできない。
私は水泳部でよかったよ。油っぽいのは落としてからプールに入るけど(水が汚れるからね)頭髪の制限はないし、ちゃんと風邪ひいたら休ますし雷が鳴ったら休ますし冬は砂場で遊んでるだけだし。