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月の稜線

 額縁を作るのは、ものに縁を与える仕事だ。

 縁のない絵は、どこまでが絵でどこからが壁なのかわからない。だから縁がいる。ぴったりの縁が。

 その日の午後、客が持ち込んだのは薄い水彩画だった。丸みを帯びた山並みと、右上に白く(にじ)む月。女客は「自然な感じで」と繰り返しながら展示壁のほうを指さした。「角が丸くて、柔らかい感じの額がいいんですけど」

 琴音は店の奥に引っ込み、サンプルを数枚持ってきた。曲線を使ったモールディング、角を落として仕上げたタイプ。客はすぐ選んで、満足そうに帰っていった。

 閉店後、琴音は完成した額縁を壁に立てかけて眺めた。きれいだった。ただ、どうしても自分が作ったものだという気がしなかった。

 幼いころから、琴音の目には世界の「縁」がひときわ鋭く映った。壁の角、本棚の端、街路樹が電線を切る直線。ほかの子はそういうものを素通りしていくのに、琴音にはどうしても止まって見ずにいられなかった。学校では「角が立つ」と言われた。母だけが違った。「あなたは縁がよく見える目を持っているのよ」と母は言った。そして死ぬ三日前には、「あなたが生まれた夜、お月さまが四角かったよ」と言った。末期の薬のせいかと、そのときは思っていた。でもその言葉だけが、十年近く頭の隅に残りつづけていた。

 翌日、競売で落とした廃業写真館の遺品が届いた。古い木材と真鍮(しんちゅう)の金具——額縁の素材として使えそうなものが入っているはずだった。ダンボールの底に、古い封筒が一枚、緩衝材に挟まれていた。中から出てきたのは白黒写真の束だった。

 星野。夜の丘。建物のシルエット。そして最後の一枚。

 月が四角かった。

 ぼやけていない。四つの角が鋭く立っている。丸い月ではなく、四角い月だった。

 琴音は写真を裏返した。インクの滲んだ万年筆の字で、こう記されていた。

 ——平成九年 十月十七日 須藤(すどう)清治

 十月十七日。それは琴音の誕生日だった。

 図書館のマイクロフィルムで地方紙のバックナンバーを調べると、平成九年十一月の「読者の声」欄にその名前があった。須藤清治。「今月、月が四角く見えた夜があった。天文学的な見解を求める」という投書で、紙面の注には「現象の確認はとれていない」とだけあった。翌月もう一通。また翌月。三通目を最後に、須藤の名前は紙面から消えた。

「ああ、須藤さんなら」と司書が言った。カウンターの奥で棚の整理をしていた初老の女性だった。「今も丘の外れに住んでいますよ、確か」

 曇りがちの昼過ぎ、岩城(いわき)琴音は車で丘を登った。古い板張りの一軒家の玄関を叩くと、背の高い老人が出てきた。白髪を短く刈っており、厚い眼鏡のレンズの奥に目が細かった。

「記者さんですか」と老人は言った。

「違います。額縁職人です」

「では、何の用ですか」

「あなたの写真を手に入れました」

 老人は扉を閉めようとした。そのとき琴音は言った。

「私は平成九年の十月十七日に生まれました」

 老人の手が止まった。

 居間のちゃぶ台で緑茶をもらった。壁には何もかかっていなかった。天体写真も、星座図も、そういうものは一切見あたらなかった。老人——須藤清治——は、テーブルの上に置かれた琴音の写真を、まるで古い知人の顔を見るような目で眺めた。

「あの夜の月を見たんですか」と須藤が訊いた。

「見ていません」と琴音は答えた。「その夜、生まれたばかりでしたから」

「そうか」

 須藤は湯飲みを両手で包んで、テーブルを見つめた。それからゆっくりと、あの夜のことを話し始めた。いつもの金曜日だったこと。丘の上で星の写真を撮っていたこと。東の稜線(りょうせん)から月が昇ってきたとき、形がおかしかったこと。三分間ほど——時計で確かめたから三分だと分かっている——月が四角かったこと。角は丸みがなく、まるでガラス板を切ったような直線だった。

「どんな気持ちでしたか」と琴音は訊いた。

 須藤は長い間、黙っていた。

「ありえないものを見た、という感じです」とようやく言った。「でも同時に、ずっとそうだったものを初めてまっすぐ見た、という感じもあった。うまく言葉にできないんですが——合っている、という感覚です。そのときの月の形が、世界のどこかの形に、ちゃんと合っている、という」

 琴音はテーブルの木目を見た。細い年輪が、板の端まで走っていた。

「母が」と琴音は言った。「私が生まれた夜に月が四角かったと言っていました。変な子だから、そう言ってくれたんだと思っていました」

「変な子だったんですか」

「今も変です」と琴音は言った。

 須藤は少し笑った。眼鏡のレンズが白く光った。「私も変ですよ、人に言わせれば」

 その後、琴音は何度か丘の家を訪ねた。須藤は四半世紀以上の話を少しずつ語った。写真を持って大学の天文学研究室を訪ね、「露光の問題でしょう」と言われた話。雑誌に投稿して「確認できない現象は掲載しない方針です」と返ってきた話。妻が「もうやめて、恥ずかしい」と言った話。息子から「お父さんのせいで学校で変な目で見られる」と言われた話。

「それでも否定できなかったんですか」と琴音は一度訊いた。

「できなかった」と須藤は言った。間を置いて、「見たんですから」とつけ加えた。それだけだった。

 ある日、地方紙の記者がやってきた。三浦という四十代で、穏やかで論理的な顔をした人物だった。地域の「忘れられた話」を連載するために取材に来た、と言った。

 三浦は作業中の琴音の手元を眺めながら言った。「一九九〇年代のフィルムカメラだと、露光ムラで四角い光の滲みが出ることがある。専門家なら説明できます」

「そうかもしれません」と琴音は答えた。

「なのに額縁を作っているんですか」

 琴音は手を止めなかった。

 その夜、一人で店に残って作業しながら、琴音は額縁のことを考えた。額縁を作るとき、縁の形は絵に合わせて選ぶ。丸い月を描いた絵には丸い縁。四角い月が映った写真には——四角い縁を作ることにしている自分に、そのとき初めて気がついた。異質だからおかしいのではない。この写真に合うのが四角い縁なのだ。それが正しかった。

「うそかもしれないものに縁を与えてどうするんですか」と三浦は言っていた。

 琴音は削りかけの木材を手に取った。「うそだとは思っていません。証明できないのと、うそなのは、別の話です」

 誰もいない店の中で、声に出してそう言った。

 写真展は市民センターの小部屋で開かれた。須藤の天文写真三十点、そのすべてに琴音の作った四角い額縁がかかっていた。来場者は二十人ほど。地元の天文愛好家と近所の野次馬と、三浦の顔も見えた。

 三浦は須藤のそばに立って、静かに話しかけた。「この写真が証拠だとお考えですか」

 須藤は顎に手を当てて考えた。「証拠とは言えません」と彼は言った。「証拠にするには、再現性が要りますから」

 三浦がメモを書いた。

「ただ」と須藤は続けた。「私が見たのは本物です。証拠とは別の話です。私はその場にいて、あの形を見た。それは事実です」

 三浦が岩城のほうを向いた。「あなたは信じているんですか、これを」

 琴音は壁の写真を見ていた。四角い額縁の中に、四角い月がある。ぴったりだった。

「須藤さんの体験は本物だと思います」と琴音は言った。「何が起きたのかは、私には分からない。でも、写真はここにある。須藤さんはあの夜そこにいた。そして私は、その夜に生まれた」

 少し間を置いてから、「それで十分です」と言った。

 三浦は何かを書いた。そしてまた何かを書いた。

 須藤は黙って、一点を見ていた。その目が少し滲んでいるように見えたが、眼鏡のレンズのせいかもしれなかった。

 人がはけたあと、二人は外に出た。晴れた夜で、月が南の空に出ていた。丸い、白い月だった。

「丸いですね、今夜は」と須藤が言った。

「そうですね」と琴音は言った。

 二人はしばらく月を見た。夜気が冷たく、吐く息が白かった。

「あの夜から十五年間」と須藤が言った。「毎晩外に出たんですよ。またあの形になるかと思って。ならなかった。十五年目にやめました」

 琴音は何も言わなかった。

 月は丸く、静かに輝いていた。かつての夜、東の稜線から昇ったとき、それは四角かった。誰かがそれを見た。ある女は、その夜に生まれた。証明はできない。でも写真はある。額縁は、ぴったり合っている。

「きれいですね」と琴音は言った。

「あの丸い月がですか」と須藤が少し驚いたように訊いた。

「ええ」と琴音は答えた。「これも」

 須藤は月を見たまま、もう一度「そうですね」と言った。今度は少し違う声で。

 夜風の中で、月は丸く輝いていた。


書評まず言っておくが、最後まで読んだ。これは褒め言葉に聞こえるかもしれないが、私は途中で何度か手を止めた。だから「読み終えた」という事実は、この作品が最低限の引力を持っていることの証明だとも言えるし、私の読書習慣の問題だとも言える。

気になった点を列挙する。

まず「四角い月」という現象についての説明が一切ない。須藤が「露光ムラかもしれない」という可能性を自分で示唆しておきながら、作中ではその疑念が宙吊りにされたまま終わる。「証明できないのとうそは別」という琴音の台詞は格好いいが、それは結局「信じたいから信じる」という感情論でしかない。文学的には許容範囲だとしても、読者に対してもう少し地に足のついた手がかりを一つ置いてくれてもよかった。四角い月を見た目撃者が须藤一人というのも、構造的に弱い。

次に、琴音の心理描写が類型的な点が散見される。「角が立つ」と言われて育った女性が、自分の「四角さ」を誇りに変える——という構図は分かりやすすぎて、読んでいる途中から結末が見えてしまう。驚きがない。もちろん予定調和が悪いわけではないが、その予定調和を「あえてそうした」と感じさせる仕掛けが欲しかった。

三浦という記者については、悪役を設定したかったのに怖くて踏み切れなかった結果、ただの「やや的外れな善人」になってしまっている。彼がいなくても物語は成立する。触媒として機能しているとは書いてあるが、その触媒の効き目がぬるい。

好意的に言える点も一応書く。额縁職人という職業の選択は秀逸だった。「縁を与える仕事」というメタファーが自然に機能しており、技巧が顔を出しすぎない程度に作動している。それから、须藤の「合っている、という感覚です」という一節は、この作品で唯一、私が予想しなかった角度からの言葉だった。老人の半生を凝縮した言い方として、悪くない。

最後の月を眺めるシーンは、静けさとしては成功している。「これも」という琴音の返答も、短すぎず長すぎず、ちょうど良い着地だと思う。ただ须藤の「もう一度〝そうですね〟と言った、今度は少し違う声で」という一文は、「感動した」と書かずに感動を示そうとした結果、かえって「ここで感動してください」というサインになってしまっている。

総じて言えば、読んで損をしたとは思っていない。ただ、この題材と設定で書けるものが、もう少しあったはずだという気持ちが残る。「四角い月」という着想は、この物語の器に対して少し大きすぎた。