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漢書と史記

この土日は盂蘭盆会間近!ということで、敢えて台風を無視して、実家に帰っていた。私は実家に帰って夜中になると、いつも昔好きだった本を読む。本当に好きな、例えば「史記」とかはこっちに持って来ているのだが、次点クラス(漢書)とか量が多いもの(鬼平犯科帳とか)は実家に置いてある。鬼平や剣客商売はそうやって何度も読んだので、今回は漢書の帝紀を中心に読み直した。

やはり漢書と史記を比べると優劣は明らかだ。漢書の記述は冷たい。まあ漢書より後はもっと冷たくなるのだが、史記のあたたかさと比べると冷たすぎる。漢書はその後の正史の記述方法をかなり確立してしまったので、その罪は大きいのではないかと思う。機会があれば(ぜったいないけど)、班固が本当に登場人物のことをどう思っているのか問い正してみたいくらいだ。一方、「史記」の司馬遷は登場人物が好きでたまらないのではないかと思う。現在の上司(漢帝国)の敵であっても、本当に生き生きと描く。まるで今にも動き出すかのよう。もしかしたら漢の高祖もそういうあたたかい人だったのかもしれない。

司馬遷の記述というのは、その時その人が何を見て何を感じたか、そしてどう行動したか。そして自分の経験も含めて描くのだ。例えば孟嘗君の領地に行って古老に話を聞き、土地の人と接することで当時の遺風というものを知る。彼こそはモノカキの理想形と言えるだろう。

このblogには、私は自分の人生において何を見て何を聴き、そして何を感じたかを書いていこうと思っている。スケールは小さいが、こういうものが真の歴史というものだ。そしてできれば、30年後くらいに仕事を引退して、そのとき読み返しても恥ずかしくないものを目指したい。っていうか絶対恥ずかしいのだけれど。

そうして、こういうデータをどんどんDBに突っ込んでいって、いつかこいつを分析するのだ。…なんてな。

(追記) 2003-08-10 23:37

あ、盂蘭盆会は東京では7月だった。…忘れていた。