作家志望の中途半端な青年がFC東京というどうでも良いJリーグクラブのサポになるまでを描いた本。文章はあまり上手くないけど、伝わってはくる。まあ私は現場を知ってるから言いたいことは分かるというね。ただ知らない人にこれが伝わるのかどうか、それはわからないな。東大の大学院まで出た文筆家にはFC東京はちょうどいいクラブだと思うよ。近いし、適度に強く、そして強すぎない。俺たちと同じ、マゾ体質? まあ、クラブ選びは成功してると思った。
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JALの元スッチーにして伝記作家(?)が描いた、日本航空の初代社長の一代記。…で、いいんだよねこれ?
最初のほうは初代のエアガールへのインタビューとかをもとにいろいろ書いていて、なるほどこういうのが続いて現代まで行くのかな、と思っていたら途中から松尾という初代社長が主人公になって、松尾が死んで本が終わったという…ちょっとあっけに取られてしまったのはボーッと読んでいたからかもしれない。
大和の成り立ちが書いてあるという古事記。神話の解説をしつつ、(当時の)現代の天皇の御世に至るまでを記す。まあ悪いけどロクでもない記述なんだろうな、という印象を持っていたけど、思った通りだった。「史記」や「ガリア戦記」を思うと、この書物の価値は低いと思う。
なんでかというと、単に神々と天皇家の婚姻や内輪喧嘩の記録で、名前が大量に出てくるけど実際名前を記録するだけのための記述にとどまっている。事蹟が記述されるケースが少ないのだ。倭建命の冒険とかは割と書いてある。まあただ、歌がたくさん出てくるので歌集のように使うことはできると思う。ひどいのは誰と結婚して誰を生んだ、そんで死んだ、みたいなだけの記述だったり。何をしたか、どんな人物であるかが大切な現代のような時代とは異なる価値観を持つ時代だったということなんだろう。誰と結婚して誰を産んだか、が重要視される世界。いやだねー。
言わずと知れた名作。少年探偵。小林くんだな。そして明智小五郎。懐かしいなぁおい。
最近青空文庫に入ったんだよなこれ。ということで早速ダウンロードして読んでみた。小学校時代に読んだんじゃないかという記憶があるけど、けっこう覚えてるもんだな。かなり思い出せる。時代的にはちょっと前の話にはなるものの、それなりに舞台がしっかりしていて描写もほどほどにリアリティがあって、けっこうちゃんと読ませるよね。子供でもここまでのものを読むんだな。情操教育的にも素晴らしいんじゃないか。
沖縄で起きた赤ちゃん取り違え事件を追う。看護師のミスで取り違えられて、幼稚園年長の6才で発覚し、交換で元に戻そうとしながらもなかなかうまく行かずに…文庫本の追加まで含めると最後は30才くらいまでなるから、17年どころの話ではない。
興味深い話ではあるんだけど、読むんじゃなかったと後悔した。いや、悪い本だと言っているわけではないです。このテーマでこの分量を読んでしっくり読み終われるほど成熟した人間になってないんだろうな、オレ。
神林長平らしいSF。自分の人生を記憶し自分を模倣するようなネットアバターが普及しているという設定。いわゆる自我科案件(忍殺で言うところの)ですね。火星かなんかを舞台に似た設定のやつがあったなぁ。『帝王の殻』だったかな。最近は実際にスマートフォンが副脳みたいになってる世の中だし、この設定はいい線いってるんだよね。
そして長々しい考察の独白が続いて、ああこれが神林長平だよなぁと。昔ずいぶん好きだったんだよね。雪風とか、海賊課シリーズとか。若いころはこういうのを繰り返し読んだものだ。
月が地球から独立して自由を勝ち取るまでを描いた名作SF。長い。
武器らしい武器を持たずにどうやって自由を勝ち取るか。いろいろあってまあ、当然勝つんだけど、いろいろある。名作だけあって凄く良く練られているし、徐々に明かされていく設定なんかも非常にそれっぽいリアルがある。これぞサイエンス・フィクション、と呼べるね。名作と呼ばれるのもうなずける。
もっと若いころに読んでおくべきだったな。この年齢になると、ここまでの大作はむしろ辛かったりするので。
いろいろな理由で戸籍に登録されずに過ごすことになった人々が、どうにかして戸籍に登録したりする話。著者は元衆院議員で、自身の経験からずっと戸籍を得たい無戸籍の人の手続きを助けてきたらしい。戸籍がないと住民票やパスポートの発行も難しく銀行口座も開きにくく(不可能ではないみたい)、教育や就職にも不都合があるケースが多いらしい。義務教育すら受けられていないケースも多いとか。
まあ親にどんな事情があるとしても、無戸籍となった子供に責任があるはずもなく、責任のない人物が不利な扱いを受けるというのは正義に反する。そして親の事情というのもいろいろで、出生届を出せなかった親に責任を負わせるべきとは思えないケースも多い。
死んだら画像診断(CTやMR)取りましょうよ、という本。死因の特定にもつながるし、解剖と比べて死者/遺族にも医者にも負担が軽い。結果が出るのも早い。生きてる間は割と気軽に画像診断しますよね。病気が治った後なんかは特に。で、死んだ時になると画像診断なしにいきなり解剖になってしまうと、治癒後の状態と死んだ状態の比較ができない。学問としてはそれは困るし、世の中にとっても悪くないものですよ、という話。
難しい書き方をしているが、筋も通っているし妥当な見解に聞こえる。虐待とかで強く引っ張られたりすると身体の中に気泡みたいなものができることがあるらしい。こういうのは解剖すると逆に分からなくなるとか、そういう話もあった。解剖と画像診断は相反するものではなくて、検視→解剖となっているのの間に入れれば良くて、画像診断だけで済めば解剖しなくて済む場合も多い。実際解剖に至るのは全体の死者のうちのごくわずか。画像診断を多めにやって解剖減らすとか、やり方はいろいろ考えられるだろうと思った。
佐藤正午の小説。佐藤正午は決して期待を裏切らない、ということが改めて証明された気がする。
主人公が小説家で地の文もその小説家が書いた文章というていになっていて、古本屋や床屋のおやじ、女たち、本通り裏のあの人など、いろいろな人が出てきて小説家と小説を翻弄する。まあこの設定で確実にあるであろうという混濁を織り込みつつ、最後はすっきりまとめてくる。読後感は何とも言えないもので、スッキリ感はないけど納得している自分もいて、しかしいやこれは…という思いも持つわけで。だいたいこれさ、直木賞て2回も受賞できないでしょ?