母になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち (高橋歩唯, 依田真由美)
あのイスラエルの本に関するNHKの特集を本にしたもの。日本でもインタビューを敢行。インタビュー対象の多様性については、イスラエルの元ネタと比べてどうか。会社などで働きたかったのに子供を生んだから働けない人生になった母親が多いのはそうなるだろう。気になるのは氷河期世代が多いこと。そして父親は家事をしない。この世代の父親には育休制度がないのよね。自分もそうだが、先進的な会社が男性育休を推奨し始めたか始めないか、そのくらいの時期。制度化されるのはもっと後のことだ。私の時も、確か積立休暇みたいな、入院するときに使うための休暇制度? みたいなやつしかなかった記憶がある。あと、祖母になっている人は対象者に入っていなかった。世代の多様性は低い感じか。
私は、どっちかというと社会的というよりも本能的に母親になることに違和感があるケースに興味を感じる。そういうのってあるんじゃないかと思っていて。本能的母化拒否。確率的に発生するのでは。この本でも、そういう人もいた。哺乳類に植え付けられたバグではなかろうか。野生動物にもそういう個体がいるんだろうな。太古から続く謎? 一見、種の生存には不利だが、実は有利な面があったりして。どんな理屈があるのか。
子育て負担の問題って国の単位でどうにかなるわけじゃないと思う。日本やイスラエルがそうだったとして、じゃあ子育てイージーゲームの国ってあんのかよと。あるとしたら氏族が固まって大家族主義みたいな社会でスケールメリットを生かす形かな。まー実際は各人に采配の権限がつけられる核家族化のほうがストレスフリー、快適だ。子育てだけ大家族でそれ以外は核家族、なんて都合のいい社会を設計できる気がしない。ここ、我々の次世代が幸せになれるのかどうかの鍵になるだろう。
子供側のインタビューがあったのは良かった。大きな救いだ。私も我ながらかなりのナイスガイですが、事実ですよ? ですが、母親には育て方を間違っただの何だの言われたことがあったし、長らく自己肯定感も低かった。出来損ないのポンコツ野郎というセルフイメージがあった。妻にもこの種の後悔の念を伝えられたことがあります。俺のせいか。オレが悪いのか。本当にそうか。
自分の感覚は最初の章の人に近い。子供と親は別人格で、別人で、別の人生を歩むんだよ。それが分からなくなると良くないことが起きる。母親は子供が自分の中から出てきた感覚を残していることが多いから、子育てで不幸になりやすい気がする。子は親の思い通りにはならないし、親だって子の思い通りにはならないでしょ。それが当然だ。言いなりにしようと無理を押し通す→負担を増やす、という式。這えば立て立てば歩めの親心←この心理も悪影響あるよな。最初は生きていてくれればそれで良かったのに、生きてれば健康であるべきとか、健康なら勉強すべきとか。あれ食べろ、これやれ、同世代を圧倒しろ…それをやらせるお前は子供の時どんなだったよ?
最後の謝辞に、生んだ方の著者(取材期間中に出産している)がさ、共著者側の夫の名前は含めつつ自分のパートナーのことは書いてないんだよね。なかなか意味深だった。そこが最大のハイライト?ハラハラさせてくれるぜ。もしそれとわからない形で書いてたんならゴメンだけど、最も身近な父親の話は参考にはしなかったんだね、と…邪推と分かっているがやめられない…イスラエルの本はどうだったっけ…覚えてない。けど、あっちのパートナーは父親じゃないからテーマとの関連は薄い。こっちは…あー邪推をやめられないタスケテ。