夫に死んで欲しい妻たち (小林美希)
現代は結婚・家族制度と仕事社会が悪魔合体している。その歪みが導いた地獄を描写する。まあこれ妻が一方的に悪いよね絶対、と思わせるような例もあったが、憎悪を持ち続けながら生活している様子が淡々と描かれる。不幸のオンパレードだ。テンポ重視の文体で、著者は学術的な人ではなく、文筆家。それ系か…
これは大体10年前くらいの本ですね。団塊だの氷河期だのと年齢表記があるけど、おおむね10年プラスして考えればいいだろう。答え合わせ的な? まあ10年前にこれで、今の状況はほとんど変わってないわけだから、不作為も甚だしいことが知れる。
いやー、死を望まれる側の立場の人間としてはコメントしづらいっすね。まあうちの奥様が何思ってるかなんて知らぬが。チームの一員としてタスクをこなしてくれればあとはどうでもいいんじゃないの? この本の事例はいずれもチームビルディングの失敗だ。アジャイル開発の現場ではどんなふうにしてこの問題を解決しているのだろうか。そこにヒントが…あったりするか、どうなのか。
課題は、社会の環境を変えたいという話と、問題のある環境の中でチームをどう構築・運営するかという話に大別される。環境に問題があるのに、チーム内の個人に責任を求めるというのは会社組織でもあるあるな現象だ。
それで環境の原因はたくさんあるけど、現代の子育てがハードモードすぎるのが一番の問題か。人生かけた一発勝負みたいになるからねマジで。しかもランダム要素も多い…マジでクソゲーだな。あとはお金の問題と、離婚をもうちょっと気軽にできた方がいいよね、というのもある。子育ての容易化は大きな技術的課題で、解決できれば少子化対策の最終手段になるだろう。放っとくだけでうまいこと勝手に育ってくんねーかなww
全体的にはなんというか、登場人物が自ら不幸のままでいようとするのは不思議に感じる。人生、そこまで思い詰めるの? 理由はあるんだろうけど、それぞれ不幸の中にとどまるのに十分な理由には思えない。自分が不幸になっている、というのは何かを変える動機になんないのこの人たち? 憎しみを内部に持ち続けながら、成り行き任せという。無責任ですよ。自分の幸福が何か、どこに向かえば近づけるかを、もっと真面目に考えた方がいい。仮にそれが殺人であっても、死んで欲しいと願い続ける不幸よりはマシなんでは。そういう判断はしないのか。
つまり言いたいのは、文字通り読むべきではなくて、言葉が軽くなっていく(激しい言葉を簡単な意味で使うようになっている)現象の影響があるんではないかと。本当に死んで欲しいなら、自分で殺すべきで、それが大人というものだ。大人が実際にそれをしないなら、本気ではないということなんだ。殺人は主義主張からできないにしても、離婚はシンプルな話、それほど高いハードルではない。
あとは夫婦って言ったって元は他人同士なんだから、不満を持つのは不思議なことではなく、お互い様かな。私は誰であっても死んで欲しいと本気で願うことはないけど、妻や子供といった家族に対する不満はあるし、向こうにもあるだろう。俺ほどの人間でもパーフェクトではないってこと。関係が深ければ深いほど、それは当然起きる現象だと思っている。
そんな、どうしても感想が自分語りに向かってしまうようなリアルな事例集だった。夫を変えるとか小さいことを言って終わりにせずに、テクノロジーで社会を変えるべき。そしてそれは10年かけても、できなかった。