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山椒の実

九月、東京の路上で (加藤直樹)

大正期の大災害、関東大震災のときに起きた流言飛語によって引き起こされた朝鮮人虐殺を記した本。どういうメカニズムでそれが起きたのか、どうすることで防げるのかに興味があったわけだ。まーしかし読み進めるのも辛い、憂鬱ですごい話だった。しかし大正期か。あの頃で、こんな事実が許されるのか? 警察や軍も率先してやってたなんて。最終的には自警団が勝手にやったことにして全部なすりつけたの? 酷さ醜さが凝縮されている。

阪神淡路でも東日本大震災でも悲劇はあったと思うけど、関東大震災の時のようなことはだいぶ防げたんじゃないかと思った。自国民に退避を呼びかけていた国もあったよね。そういうのともリンクした。力のある国の人だと、だいぶ守られてるんだろうな。実際のところは技術…耐震設備の向上によって救われた命も多かったろうけど、人間の意識も進歩している。我々の子供の世代にはもっと進歩が進んでいるだろうか。

これってでもさ、素直に読めばマイノリティは武装して固まってるしかないじゃん、という解決策に思い至ってしまう。武力がない少数派だから好き勝手やられたんじゃないか、と。そういう方向に考えが向く危うさがある。自分の感想としては、「人類には武器は早すぎた」だ。武器を持っていたから被害の規模がデカくなる。先祖伝来の日本刀って…災害派遣に銃剣持って突入って、殺す気マンマンじゃないですか。素手だったら、これだけの野蛮さは発揮できないはず。

実際は教育の力で無法を抑え込んだのかな。しかし近年の悪いインターネットの跋扈により教育レベルが下がってヘイトが復権してきた感じ? そういう世界観でいいのか??