開けられたパンドラの箱 (月刊『創』編集部)
相模原市の障害者施設で重度の障害者19人を殺害した、その犯人についての本。日本にとっては津山事件(30人)以来の大人数かな。京アニの事件で大幅に更新したのは記憶に新しい。まあ人数多いのって火災とか毒殺みたいに事前に被害規模を予見できないやつが多い中、19人を刺殺というのは常識を超えている。日本の犯罪史に残された巨大なトピックになった。犯人はその後、死刑が確定している(この本の時点ではまだ裁判が終わっていない)。
まず、刀における鍔の役割について。フェンシングやってた頃は「ガード」と呼んでいたけど、鍔が武芸家の身を守る。当時は相手の剣から守るという意識があったんだけど、鍔がなければ自剣もまた身を傷つけるということだ。この犯人の得物は包丁だったようだが、鍔を装備しなかったため自分の手を傷つけることになった。その傷がなければもっとたくさんの人を殺せていた可能性があったのか、どうか。その記述はないとしても、考えてしまう。それでも無抵抗とは言え、19人殺害は多いな。技術的な話は本質から外れるので、ここまでにしておこう。
この本を読んでいる自分自身の考えは、どう言ったらいいんだろうか。集団にとって将来の貢献度の期待値が低い人間を切り捨てる社会。そんな社会に住む日がいつか来るのかもしれない。だが、今日ではない、というのが自分の考えだ。犯人は今がその時だと認識したようだが、我々はもっと余裕がある社会を築いてきたんだと思っている。現代日本では、何も生産しないからと言って生存する権利を踏みにじる…なんてことはせずに過ごせるはずだ。弱肉強食という言葉はもとより比喩に過ぎない。
それこそ昔の姥捨山だったり、戦時中に空襲かなんかから逃げる時に祖父だか祖母を捨てた話を最近読んだけど、そういうのは本当に限界が来てからでいいじゃん。犯人の言う心失者(?)であっても、日本社会はまだキャパに余裕があるから殺す段階には至っていないでしょうよと。人類が過ごしていく上で、その豊かさには波があって、いつかは優先度をつけなきゃいけない時代を過ごすのかもしれない、という感覚もあるけどさ。要は、絶対的なものではなくて、相対的なものだろうという感覚。そうならないようにキープする努力は必要なんだ。
というわけで日本の社会は全体的に斜陽ではあるがまだ限界は遠いし、犯人もさほど切羽詰まったわけではない。限界レベルが低いのに、こういう所業をしてしまうという動機はなんなのか。措置入院の悪影響という説も説得力があったけど、そこまで影響するかねえ。
被害者との関係性にしても、自分が費用を払っているわけではないし(税金払ってるじゃん、というのは間接的にすぎる)、被害者のせいで困窮しているわけではない(むしろこいつが施設で給料もらって生活できてたのは被害者がいたからだ)。本人の考える社会正義? があったとしても、恨みもなしにここまで強い殺意に至る?? その飛躍が恐ろしいよね。おそらく「極端な人の正体」の本に出てくるようなタイプの人がこういう思想? を持ってしまい、恐るべき実行力と過去の職場という知見(警備体制や土地勘)があった…ってことなんだろうな。
正直に言えば自分も時折狂った考えに至ることはあるんだけど、それをネットの海に書き込むハードルは確かにあるし、実世界で実行するハードルはもっと高い。
というわけで、SNSの炎上祭りで火をつけてる人たちと、この犯人の根っこは一緒だと感じる。延長線上にある。狂った考えに至る道すじ以上に、実行に移すハードルの低さが際立ってるよね。他人事を自分事として捉えてしまうという意味では、この人たちって共感能力は高いのかも。
途中の元大学教授の人は嫌味ったらしく知識で殴ろうとした前半は全く響かなかったが、後半は持ち直したかなー。対談は割と悪くなく、精神科医=クソとは言い切れないものがあった。それで、これって犯人の主張に反対するには被害者の生前の何らかの表現というか、作品的なものを掲載するのが一番だと思うんだけど、それが全く出てないってことは、犯人は主張通りの選別をしたんだろうなと思った。
この事件は実名/匿名問題が大きいテーマではある。被害者遺族が匿名にする気持ちについて何のかんの言ってたけど、この扱いはやはり良くないと思う。被害者が重度障害者だから匿名で、そうじゃないから実名という区別には理がない。この事件の一方で別の事件にも被害者遺族がいて、その人たちの気持ちを尊重しなくていいということにはならない。つまり大きな事件の被害者側の人物は基本全部匿名でいいと思う。京アニの事件でも被害者匿名化の議論があったけど、この相模原の事件の影響もあって、そういう流れができつつあるのかもしれない。
複数の論点それぞれに深さがあって、書きだしたら思いのほか長文になってしまった。
ところで、緊急事態宣言の影響により、自宅で暇そうにしている小学生の息子がこの本を手に取って読んでいた。親としてはちょっと待てよと言いたくなる。今後はティーンエイジャーが読んでも問題ない本を選ぼうと思った。とは言え、無害な古典とかは興味を持たないだろうし…結局ラノベとかに、なるのかな?