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山椒の実

止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記 (松本 麗華)

あのアーチャリーの半生をつづった自伝。この人の人生もかなりのハードモードですね。本自体はなかなか良かった。当事者の文章から、真実をどう読み取るか。

まーどうしてもこの人に何らかの責を負わせたい人がいるってことは知っているが、理性で考えてみようよ。当時年端もゆかぬいたずら少女に何ができたのか。そして、この人にしか見えなかった景色がこの自伝によって明らかになる。

度重なる入学拒否にめげず、裁判を起こして大学卒業までこぎつけた根性には恐れ入るよね。そして母親はクソだな。

オウムについて言えば、みんな解脱を目指して修行していて、解脱したと認定された人は多く生まれたということは知識としてはある。ただ本当に解脱していたのは教祖だけだったんじゃないかという感じも受けている。教祖にしても、最終解脱者(…って何?)というステージまでは行けなかったろう。現在は獄中の薬物投与により精神が破壊された状態のようだ。教団が崩壊して低位の者しか残らなかったこともあり、その後は良くなかった。森さんのAシリーズとかも見たり読んだりしたけど、その辺はそう思うんで。

著者は我が子に甘い教祖のせいで、残った人の中ではもっとも高位のステージとされていた。ここに悲劇の芽がある。なんという、誰も望まざるウルトラハードモード人生の選択シーンだろうか。

しかし、修行による解脱って、メソッドがあれば達成できるものなんだろうか。それとも導き手の手腕なのか、あるいは修行者本人の資質が大きいのか。自分にとっては修行なんて想像もつかずしたくもないというのもあって、どういう条件で解脱に達するのかってのが良くわからないところ。

事件については、教祖が身体能力の限界もあってコントロールできなくなった組織があり、構成員は世間知らずばかりで、そこに今流行りの忖度のシステムみたいなものが働いてたどり着いた終着点、みたいな感じ。盲目の教祖以外にまともに解脱できた指導者がいれば良かったんだろうけど、そこがネックだったんだろうな。解脱を安売りした挙句に教祖が最終解脱者である、とした時点で止まらない局面に入ったか。私との関連でいえば、事件当日は上九一色村の近くの村で部活の合宿をしていた、というのと、秋葉原のマハーポーシャだよね。あれは流行った。もう20年か。