日本を代表する絵本。ねこの話で、意味がわからなくても感動するという不思議な絵本。
これいろいろな考えを持つ人がいるんだろうけど、結局「生きてない奴は死ねもしねえんだよ!」ってことなんじゃないかと思った。こいつやっと生きることができた、だから死ねたんだと。
このねこ、100万回飼われて…まあ100万は比喩だと思いますけど…全部の飼い主を嫌いだったんですね。でも飼い主は全部このねこを好きだったんです。で、死ぬと泣くんです。そして(恐らくは丁寧に)埋葬する。でもねこは飼い主が嫌いだった。
生きるとはどういうことか。たぶん、誰かを愛して云々…ってことが生きるってことなんだ、というメッセージがあるんじゃないかと。
一般感覚的には思いを残すと成仏できないみたいな気がするところだけど、この絵本から感じるのはそれとは逆方向の何か。何かを大切に思うその思いを持たずして成仏はできないんだよと。
ストーリー的には奥さんの白猫の死を悲しんで死に、生き返らなかった(成仏した)っていう流れなんだけど、仮に違う展開だったら成仏できたかというと、やはり成仏できたケースが多いんじゃないかと思う。例えば
- 白猫が死ぬ前にこのねこが死んだら白猫が泣いてねこも成仏できたろう
- 子供が独立する前にこのねこが死んだら白猫や子供が泣いてやはり成仏できたろう
- 子供が生まれる前にこのねこが死んだら白猫が泣いて成仏できたろう
- 白猫にアプローチしている間、結婚に至る前にこのねこが死んだら…ちょっと微妙だが誰も泣かずに成仏できたろう
- しかし白猫に会う前の野良猫状態で死んだら成仏はできなかったろう
- 飼猫状態であっても近所を散歩しててこの白猫に会ってたら成仏できたろう
…と思う。野良猫になって自分がはじめて自分のネコであるというところはあんまり必須じゃなかったと思うんだよね。ストーリー上は、このねこが白猫が死んだ時に泣く状態であるということを示すには白猫が先に死ぬという展開は必要だったと思うけど、成仏には必要だったとは思えないんだ。
生物学的(?)には、不死の存在は子孫を残せないんじゃないかというのは、あるんだろう。このねこが成仏したのは子孫を残した後だからね。それまでは子供を持つ描写はなかったわけだし。何かを愛さずに子供を持つ描写を子供向けの絵本ですることはできないだろうからな。