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ログ取得ツール (移転先予定地)

数を数えることについて考えさせられた

今日は会社から家まで、歩いて帰った。距離にして10km弱。汗びっしょりになった。疲れ果ててもう動く気がしない。しかしこの行為は非常にオススメだということがわかった。なぜか。

実は私は歩いて家に帰るのは初めてではない。これが3回目だ。これまでの2回は、なんとなく歩いてみたかった、というのが理由だ。しかし今回は違った。

今回の目的はファンキーの探究の他に、痩せたいから(そろそろ体脂肪率20%を切っとかないとね)、それと今日がの日だったということがある。1945年のこの日に投下された爆弾の影響で20万人以上の広島人が死んだわけだ。今日はそのことを思いながら歩こうと思った。何かを思いながら苦しいめの単純作業を続けるのもいいかな、というわけだ。

とは言うものの、最初は会社で今日起きたことを考えていた。今日は特に奇妙なことや印象的なことが起きたわけではないが、なんとなく会社のことを思い出していたのだ。そして、武蔵小杉の駅のあたりで会社が消えた。そこからはなぜ我々の先人は国を誤り、彼らの先人は殺したのか。いまの日本の偉い人の選択や決断は妥当なものだろうか。それを考えていた。そしてひたすら歩いた。途中、川崎市平和館の前を通ったので写真を撮ってみたが暗くてうまく写らなかった。

そうやって歩きながらふと計算したのだが、会社から家まで、歩いてもだいたい1万歩くらいだ。たったの。これはつまり、1歩踏むごとに20人が死んだと考えてもいいなと思った。そう考えると、1歩ごとにバタバタ倒れていく映像が目に浮かんだ。ちょっと真・三國無双っぽくもあり、花火っぽくもある感じの映像。もう、この時点でむちゃくちゃ汗だくでうんざり気味だったのだが、こういうことをいろいろ考えていると余計に一歩一歩が重くなる。

それで、統計上の数字で実感できないものは、こうやると分かりやすいことをこの歳にして思い知ったのだった。やっと。この発見は新鮮だった。家に辿り着くと、そこには過去の死へのかなしみと、知恵を手に入れたことへの満足感、そしてちょっとした将来への不安感があった。

結局、真のファンキーについてはよくわからなかった。帰宅直後、体重は71kg、体脂肪率は17.5%になっていた。